ご多分に漏れず
私もTwitterをやっております。
いちおうWebデザイナーですので、
Twitterもやっていないといけませんので…。
主にはてなブックマークで
仕事に役に立ちそうなことをブックマークしているのですが
その際に同時にツイートする場合が多いです。
ま、フォロワーは多くないですけどね(笑)
熱心にTwitterをやっているわけではないのですが、
前から気になっていることがありました。
それは
「Twitterって論議に向かないメディアなんだろうな~」と思ったのです。
なのに、論議などが白熱して罵倒合戦になっている。
なんだかな~。これでは楽しめないではないの。
特に私が気になっているのは「脱原発」関連のツイート。
これが、とても醜い。
脱原発同士で罵倒合戦
例えば脱原発同士でこんなやり取りがあります。
読んでいただければご理解いただけるのではと思います。
解説すると
原発について3タイプの主張があるそうです。
1.原発推進を主張する人たち(原発容認派または原発推進派)
2.原発を段階的になくしていこうと主張する人たち(脱原発派)
3.ただちに原発を停止し廃炉すべきと主張する人たち(急進的脱原発派)
1と2、または1と3がバトルを繰り広げられるのがふつうありえそうなのですが、
そういったものはほとんど見受けられないのです。
実は白熱しているのは2と3なのです。
原発をやめようと主張している同士がケンカしているのです。
はたからみれば不思議な光景なんです。
急進的脱原発派の主張
- 原発をすぐ止めろ。廃炉もすぐに行え。
- 原発事故は、国や東電が悪い
- 原発反対と声をあげないのは悪
- 反対か賛成かはっきりしないのは悪
特に、徹底的に反対という極端な立場です。
発言が極端で「ダメなものはダメ」と徹底しています。
脱原発派の主張
- 原発は止めてほしい。廃炉もできるだけ早くしてほしい。
- でも、電力の安定供給が心配
- 廃炉も現状難しいし、時間を要することも理解している
- よって、ある程度原発稼働を容認し、代替えの発電方法を確立しながら段階的になくしていくと主張
できるだけ、情報収集を心がけ、堅実的に廃炉をしてほしいと思っている。
いわば、現実路線といったところ。
「急進的脱原発派」と「脱原発派」
一見おなじような「原発をなくしたい」と思っているのに
いがみ合っています。
なぜか…
頑なな急進的脱原発派
急進的脱原発派の人は原発事故発生を
東京電力の体制、そして日本の政治のなあなあなメンタリティのせいとし
それを放置し、勇気をもって声を出さない
日本国民も悪いという論理を持ち合わせています。
よって、発言内容がとげとげしくなり、
内容も大げさなものになってしまいます。
想像を膨らませすぎて、過激な発言となり、
中には「デマ」と認識される発言も見受けられるようになります。
それに対して、脱原発派の人たちは
「デマをながすな!」と反論をします。
これで対立の図式が出来上がります。
急進的脱原発派の人たちは、
脱原発派の反論に食って掛かるようになります。
「いきなり、挨拶のなしに絡むな!失礼だろ!」
という原発とは関係のない「マナー」を盾に防衛線を張ります。
まるで、目に見えない放射線におびえて
牙を向いているように見えます。
想像が新たな想像を生み、
言葉がどんどんひどくなります。
現実から判断し、静止しようとする(現実的)脱原発派の人々と
頑なに現実をを見ず、想像上の放射能の恐怖を敵とみなし、
反発する急進的脱原発派の人たち。
この対立はもう2年以上も続いています…
こんなことやっている場合ではないのに…
私自身はこんな対立は本意ではないと思っています。
本来では論議をじっくり行い、それなりの方向性を見出していくべきなのですが
これでは、平行線です。
Twitterは140文字の制限があります。
短文の気軽なコミュニケーションには便利ですが、
論理的な論議をするのには舌足らずの文字数なのです。
だから、真意が伝わりにくく
感情のみがタイムラインに流れていってしまうのです。
でも、このままでは「脱原発」が遠回しなってしまうのではと危惧してしまいます。
我々がやるべきこと、それは
この原発問題の現実を把握し、
正しい情報を精査し、みんなと共有することだと思います。
今は、前と比べて情報を得やすくなっています。
といっても、どれが正しいか?
見極める必要があるのではと思ってやみません。
この記事はあくまで私の私見で描いたものです。
間違い等、ご指摘いただければ幸いです。
ちなみに私は「脱原発」です。
あくまでも「急進的」ではないほうですが…。
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